【童話】家猫白ちゃんと演奏会🐱🎺🪇

<序>

家猫白ちゃんは、家でゆったりと過ごすことが好きな女の子でした。 

白ちゃんのつがいはお腹がすくと、「信じられない、許せない、ありえない」と癇癪を起こしてしまうシャー猫でした。

ある夜、ベッドから落ちて這う姿がまるでシャチのようだったこともあり、白ちゃんは彼にしゃーちゃんというあだ名をつけました。

白ちゃんはしゃーちゃんがお腹をすかせないように一生懸命料理を作りました。

二人は笑い合いながらも、実はシマダという毒親猫たちにいじめられ、心に傷を抱えていました。

かつて、白ちゃんとしゃーちゃんは、勇気を出してその場所から逃げました。 

二人だけの暮らしは質素でしたが、互いを支え合い、静かな日々を過ごしました。

夜になると、白ちゃんの目はランランと輝き、まるで猫のように自由を求めて外へ出かけました。

 

<猫たちの演奏会>

ある夜、白ちゃんとしゃーちゃんは不思議な声を耳にしました。

それはただの猫の鳴き声ではなく、まるで歌を歌っているような旋律。

風に乗って響くその声を追いかけると、大規模修繕中のマンションの囲い越しに二匹の猫のシルエットが見えました。猫たちが集まり、演奏会を開いていたようでした。 

一匹は歌を歌い、もう一匹は踊り、さらに別の猫は寝転んで観客のように聞き入っているようでした。

その時、キジトラ猫が出てきて、二匹に近づき、にやりと笑いかけました。

それはまるで「一緒に演奏会に参加しようよ」と言っているかのようでした。

その時、二本足で立つ猫が姿を現しました。

 背筋を伸ばし、優雅な声でニャーと言いました。 

それは「猫の国の演奏会にようこそ」と言っているように聞こえました。 

白ちゃんとしゃーちゃんは、意を決して、囲いの裏側に行き、猫たちと合流しました。

共に歌い、踊り、夢のような時間を過ごしました。

やがて夜が明け、猫たちは静かに姿を消しました。

 白ちゃんとしゃーちゃんは家へ戻り、まるで何事もなかったかのように朝を迎えました。 けれど心の奥には、猫たちの歌声と猫の微笑みが、いつまでも響いていたのです。 

 

<突然の危機>

ある夜、しゃーちゃんが球遊びの野原で過ごしていると、毒親猫シマダたちがいきなり現れました。

シマダは一方的に怒鳴り、冷たい鉄の柵越しに蹴るなどの暴行を加えました。 

しゃーちゃんは必死にその場を逃れました。

白ちゃんは心配して大丈夫と聞きましたが、しゃーちゃんは「意外と平気だった」と言いました。

しかし、二週間後、白ちゃんが恐れていたことが起きました。

しゃーちゃんは原因不明の高熱を出したのです。医者猫は首をひねりながら感染症だろうと言いました。

しゃーちゃんが苦しむ姿を見て、家猫白ちゃんは胸の奥から不思議な力を呼び覚ましました。 

背中から白い羽根が広がり、柔らかな光を放ちながらしゃーちゃんを包み込みました。 

その羽根は温かく、しゃーちゃんの震える心を癒し、冷えた体を温めました。

夜が明ける頃、しゃー猫の熱は下がり、目を覚ましました。 白ちゃんの羽根は消えていましたが、その温もりは心に残っていました。 

「ありがとう、白ちゃん。」 二人は互いに寄り添い、再び小さな暮らしを続ける決意を固めました。

 

<猫の国>

その夜、再び猫たちの演奏会が開かれました。二本足で立つ猫は二匹に近づき、ニャーと力強く言いました。 

白ちゃんとしゃーちゃんは猫たちの輪に加わり、歌と踊りに身を委ねました。

夜空には優しい調べが広がり、二人の心は再び幻想世界に抱かれていき、猫の国に導かれました。

猫の国についた白ちゃんは、「一日一ソフト」が信条で、さっそくソフトクリームを欲しがりました。

猫の国の広場を見渡すと、ソフトクリームのお店「猫のヒゲ」がありました。

白ちゃんは「猫のヒゲ」の店員猫にコインを渡し、ソフトクリームを前足でつかんで舐めました。

甘く冷たいその味は、旅の疲れを癒す魔法のようでした。 

しゃーちゃんは猫使いとして知られていました。彼の膝の上には、猫の国でもシャムネコのミルがすっかり居場所を見つけ、そこから離れようとしません。 ミルはまるでしゃーちゃんの心を見抜いているかのようでした。アメリカンショートヘアの猫も、初めて会ったその瞬間からしゃーちゃんの足元で丸くなりました。 その姿は「あなたはもう友達だよ」と語っているようで、しゃーちゃんは心から安心しました。 猫たちに囲まれたしゃーちゃんは、恐怖や孤独を忘れ、猫の国で新しい絆を育んでいったのです。

猫の国の三毛猫たちは、みんなのんびりしていました。

昼は日向で丸くなり、夜は演奏会に集まって歌い踊る。

 白ちゃんとしゃーちゃんはその輪に加わり、まるで長い間探していた居場所を見つけたような心地がしました。

 

<合掌ペンギンの修行>

ある日、猫の国にタイから旅してきた合掌ペンギンが現れました。 その名は コープクン。タイ語で「ありがとう」という意味を持つ名前でした。 彼はいつも胸の前で両の翼を合わせていました。

コープクンは大乗仏教に興味を持ち、六波羅蜜の修行を続けていました。

彼は忍辱の修行に苦しみながらも、智慧を絞り、禅定に励み、少しずつ前へ進んでいました。

猫の国の三毛猫たちは、コープクンを温かく迎えました。シャムネコのミルも彼のそばで静かに眠りました。 アメショーの友達も足元で丸くなりました。

コープクンは演奏会に出て、合掌しながら静かに歌いました。 

その声は優しさに満ち、猫たちの心を包みました。 

しゃーちゃんも家猫白ちゃんもソフトクリームを手に微笑みました。

家猫白ちゃんはお菓子作りが趣味で、その腕前はまるで魔法のようでした。 寒天スイーツ、絶品プリン、絶品ドーナツ、ふわふわパンケーキ、とろける生チョコ――どれも猫の国で評判となり、広場に甘い香りが漂いました。白ちゃんが作るスイーツの香りは、心を揺さぶる誘惑となりました。 「忍辱とは耐えること…だが、この香りは忍びがたい…」 コープクンは合掌しながら必死に耐えましたが、目の前に並ぶスイーツはまるで試練そのもの。猫の国のコンビニには、ふかふかのあんまんや、冷えたビールとつまみまで並んでいました。

コープクンは胸の前で合掌し、心を静めようとしました。 「これは試練だ、忍辱だ」と自戒しましたが、香ばしい匂いと冷たい泡の誘惑は強烈でした。 ついに彼は、ビールとあんまんに手を伸ばし、一口、白ちゃんのプリンを口にしました。我に返ったコープクンは落ち込みました。

その姿をみて、しゃーちゃんは「みんなで食べて、みんなで飲む――それが一番だよ」と声をかけました。

コープクンは気づきました。 修行とは、ただ禁欲することではなく、仲間と共に喜びを分かち合うこともまた大切なのだと。 「甘さを拒むのではなく、感謝して受け入れることもまた智慧なのだ。」 

彼は再び合掌し、静かに「コープクン・カ」とつぶやきました。

猫たちは笑い、白ちゃんは微笑み、しゃーちゃんは膝の上のミルを撫でながらその光景を見守りました。

 

<サイバーコアラの奮闘>

ある日、猫の国にサイバーコアラの ちい がやってきました。 彼は「サイバーセキュリティの専門家」を自称し、猫の国の安全を守るために対策を訴えました。 「パスワードは強く、データは暗号化、怪しいリンクはクリックしないこと!23番ポートテルネットががらあきだ、基本的な対策が必要だち」 しかし、猫たちはのんびりしていて、チュールを求めたり、歌ったり、踊ったり、寝転んだりしていました。

猫たちの間では噂が広がりました。 「ちいは本当に専門家なのか?ただのネットオタクではないか?」 その声は広場に広がり、ちいの真剣な訴えは少しずつ軽んじられていきました。

合掌ペンギンのコープクンは、ちいの言葉に耳を傾けながらもこう言いました。 「セキュリティも大事だが、信じる心こそが一番だ。合掌して感謝を忘れなければ、危険も和らぐ。」 しかし、ちいは首を振り、 「信じるだけでは守れない。具体的な対策が必要だ。」 二人の意見は合わず、広場に小さな緊張が生まれました。

けれども、猫の国の猫たちは、争いを気にせず、チュールを食べ、歌い、踊り、寝転んでいました。 彼らにとって大事なのは「今この瞬間を楽しむこと」。 セキュリティも信仰も、猫たちののんびりした日常にはあまり関係がなかったのです。猫の国には「自律・分散・協調」の理念で作られたサイバー空間がありました。 その根底には、合掌ペンギンのコープクンが説く「信じる心と感謝の思想」が息づいていたのです。

しかし、ある日そのサイバー空間に不穏な影が差しました。 恐ろしい毒猫の関与が疑われる悪意ある挙動――ランサムウェアやDDoS攻撃が仕掛けられたのです。 その結果、猫たちの大切なチュールの生産が滞り、国全体に不安が広がりました。

この危機に立ち上がったのは、サイバーコアラのちいでした。 「セキュリティ対策を怠れば、猫の国は守れない!」 彼はファイアウォールを強化し、暗号化を進め、分散型の防御網を築こうとしました。 最初は「ただのネットオタクではないか」と疑っていた猫たちも、次第にちいを信じるようになりました。

コープクンは合掌しながら言いました。 「信じる心がなければ、技術も力を失う。」 ちいはうなずきました。 「信じる心と技術の両方があってこそ、猫の国は守られる。」 二人の理念はついに交わり、猫の国のサイバー空間は強固なものとなりました。

攻撃が収束すると、チュールの生産は再び始まりました。 猫たちは安心してチュールを食べ、歌い、踊り、寝転べるようになりました。コープクンとちいはガッチリ握手を交わしたのです。

 

<家猫白ちゃんの球遊びとスイーツな宴>

家猫白ちゃんは野原の球遊びが大好きでした。 しなやかなフォームから繰り出される投球は、狙ったところにぴたり。誰もが驚くほどでした。

 白ちゃんは、安心して猫の国のネットに接続し、猫パッドで球遊びの野原の空き枠をみつけ、すかさず予約し、すぐに試合相手を募集しました。

すると、アメリカ・カリフォルニア州出身の猫の兄弟が作ったチームから応募がありました。 そのチームは多国籍で、プエルトリコ、フランス、トルコなど、世界各地から集まった猫たちで構成されていました。 彼らはそれぞれの文化を背負いながらも、野球を愛する心でひとつにまとまっていたのです。

試合の日、野原には多国籍の猫たちが集まりました。 三毛猫たちは観客席でのんびりと応援していました。シャムネコのミルはベンチのしゃーちゃんの膝の上から試合を見守りました。 アメショーの友達も足元で丸くなりながら、時折声をあげてチームを励ましました。

家猫白ちゃんは小さな丘の上に立ち、深呼吸をしました。 月明かりの下、しなやかなフォームから放たれたボールは、まるで星の軌跡のように美しく飛んでいきました。 相手チームの猫たちも必死に挑みましたが、白ちゃんが前足で弾いた球は冴え渡り、試合は白熱し、白ちゃんは完投勝利をあげました。

試合後、多国籍の猫たちと家猫白ちゃん、チームは互いに健闘を称え合い、エールを交換しました。それは演奏会の時のようにとても楽しい時間でした。

この試合の閉会セレモニーが始まりました。 

白いひげをたくわえた香港から猫の国に来ていた老猫博士が野原の丘の上に立ち、挨拶をしました。 

「皆で、球遊びをしてエールを交換した。みんなで集まって楽しむ。これが一番大事である。」

その言葉は、猫たちの心に深く響きました。 

勝敗や競争よりも、共に過ごした時間こそが宝物である――博士の言葉は、猫の国の哲学そのものでした。

家猫白ちゃんは博士の言葉を聞きながら、ソフトクリームを手に微笑みました。 

しゃーちゃんは膝の上で眠るシャムネコのミルを撫でながら、静かにうなずきました。 

閉会セレモニーの後、猫たちは再び歌い、踊り、食べ、飲みました。 

猫の国の広場は、スイーツと歌声に包まれました。 三毛猫たちはのんびりとドーナツをかじり、アメショーはパンケーキのそばで丸くなり、シャムネコのミルは生チョコの香りにうっとりしました。 老猫博士の言葉が思い出され、国に甘さが満ちていったのです。

タイの音楽も流れ、その旋律に耳を傾けたコープクンは胸の前で合掌し、静かに唱えました。

「コープクン・カ」

 その言葉は音楽と溶け合いました。

さらに、コープクンは合掌し、静かに言いました。 

「サワディ・カ」 

その瞬間、猫の国はひとつになりました。

 

<七夕の短冊>

閉会セレモニーの宴で、猫たちは白ちゃんたちに猫の国に伝わる話をしてくれました。 おそろしい毒親猫が幼猫をだまし、隙間風が入る部屋に閉じ込め、ご飯も与えず、幼猫のものを取り上げ、ずっと透明猫扱いしました。大人になった幼猫は、癇癪を起こし、「こわい、さむい、おなかがすいた、シャー」と前足で自分の身体を引っ搔いてしまったという話です。 

家猫白ちゃんとしゃーちゃんは、その話を聞き、心に深く刻みました。 猫の国での宴や遊びをより大切に思うようになりました。 

ある日、家猫白ちゃんはしゃーちゃんの背中にある傷に気づきました。 それはかつて怖い毒猫が適切な治療をせず、謎の黄色い粉を塗り込んだせいで化膿し、痕となったもの。 

白ちゃんは毎日、それを静かにさすりました。 「大丈夫、もう怖い毒猫はいないよ。寒くないよ、飢えないよ、なくならないよ。」 白ちゃんの前足は羽根のように柔らかく、傷痕を癒していきました。

しばらくすると、傷跡はまるで魔法のように消えていました。 鏡に映る自分の背中を見て、しゃーは驚きと安堵の涙を流しました。 

その瞬間、猫の国の広場に集まった猫たちや、合掌ペンギンのコープクンやサイバーコアラのちいたちも一緒になって歌い、踊り、チュールを食べて、笑い、祝いました。

しゃーちゃんは七夕の短冊に「白ちゃんとずっと一緒に暮らせますように」と書きました。

家に戻った白ちゃんとしゃーちゃんは、その後も、時々猫の国の演奏会や球遊びをしながら、二匹でずっと仲良く暮らしました。

 

完

 

 

【小説】虹の幻影 下

〈虹猫の幻影〉

鍵のかかる机からポスターをたまに出して眺めた。虹猫さんにとっての国立競技場が大学であった。

ちょうどその頃、他の海猫生に少し遅れて『虹猫の青春』をプレーした村猫から突然電話があった。

「虹猫さんは最高だ」

彼は興奮冷めやらぬ様子で語った。長電話となった。村猫はクラスのリーダーであった。

シャー猫は胸の内に熱いものを感じた。魔法を少し取り戻した心地がした。シャー猫は前足で虹猫のリトグラフのCDをラジカセに落とし、虹猫パレードという曲をかけた。「ブルーベリー、いちごパイ、お気に入りテーブルに、並べても寂しいな、ミルクティー冷めちゃった、あなたのことを考えて、なんだか心がキュンとした〜」久々に虹猫さんの声が響いた。

〈虹猫さんの年賀状〉

これがシャー猫に勉強ペースを落とす勇気を持たせた。センター試験本番で700を超えたら、「あの大学」、超えなかったら「この大学」と決めた。もはや浪猫になっては耐えられないという冷静な判断があった。

少年猫時代、シマダに「あの大学」に連れて行かれたことがあった。猫医学部の建物で薬品の匂いと牢獄のような印象。シャーは本音を腹の内に隠した。行って良かったと呟いた。シマダは満足そうであった。

シャー猫の特性は数学の配点が高い「この大学」に向いていた。それは自然と東京の西に足を運ばせた。シマダの影がない開放的な空間があった。当選したばかりの豪快な知事猫の母校であると祖父猫から教えてもらった。

年末、シャー猫は吹っ切れた。クラスの2次猫信者たちに一枚一枚前足で様々な虹猫さんの絵を描いて、年賀状を送った。

〈センター試験〉

年が明けて、クラス2位が定位置だった菊猫から「こういうのはほどほどにね」という返書があった。シャー猫には彼の照れくさそうな顔が浮かんだ。菊猫は「猫耳をすませば」が好きであった。寡黙なクラス1位の渡猫は修学旅行で「宅急便魔女猫が好きだ」とボソッと言った。クラス3位をシャー猫と争っていた朽猫は末広涼子のライブで授業を欠席する猫であった。

皆、酔わねばやってられなかった。

シャー猫はセンター試験を受けた。時間が余り、見直して国語3問の解答を修正した。全て元の解答が正しかった。数学もひっ算の足し算を誤るという信じられないミスがあった。月並みの結果に終わった。シャー猫は大きな失敗をしなかったことにホッとした。新しく描いた虹猫さんに「やったね」と言わせた。

〈Sweet Runner〉

シャー猫が参考にできるものは「あの大学物語」という漫画しかなかった。漫画の主人公と同じように2つの私大を受けた。現実はいずれも不合格であった。シャー猫は受験までその大学に足を運んだこともなかった。崖っぷちに立たされたのは事実であった。

2次試験の前日、一度布団に入ったシャー猫はある数学の問題が気になり、起きて解法を確認した。普通に解くと多大な手間がかかる問題にエレガントな解法があった。試験本番、まさしくその問題が出題された。周囲の猫は苦悶の表情を浮かべていた。

苦手リスニングは勘にかけた。試験後予備校の正答集をみて、シャー猫は、思わず喜びのシャーをした。全問正解であった。

日本史の論述は戦前の労働組合というマニアックな出題であった。シャー猫はやはり前日なんとなく気になって、ちょうどその部分の資料集を見ていた。答案用紙の上で筆が難なく進んだ。

3月肌寒さが残る中、シャー猫は宙を舞い、先輩猫たちの腕の上に落ちた。山猫も宙を舞っていた。

コートに身を包んだ猫の体は地を離れ、虹猫さんのアルバム「SEARCHING」の曲「Sweet Runner」が再生されながら、舞ったままであった。

完

【小説】虹の幻影 上

〈透明猫〉

「悲劇のヒロインぶるな」
シマダは冷たく言い放った。シャー猫は、中学猫時代、球遊び部の代打の切り札として活躍中、シマダの妻の策略に引っ掛かり、背番号を失ってそのまま二度と出場することはなかった。
高校に進学したシャー猫は抜け殻だった。シマダの家でシャー猫は透明猫であった。その秋、職業球遊びを一緒に観戦した親友猫の赤猫が「片猫さんと虹猫さんがおすすめだ」と言って強引にゲームソフトを前足で差し出した。1週間放置したシャー猫を見かねて赤猫はシャー猫の巣に乗り込み自らプレーしてみせた。
「あなたには根性があるわ」という虹猫さんの言葉が印象的であった。シャー猫は虹猫さんを支えにした。歯を食いしばった。その冬、一度出したシマダの望む医者猫理系コースの進路票を、シャー猫は教卓に前足を伸ばして差し替えた。国立文系コースを選んだシャー猫に生気が戻った。

〈虹猫さんの魔力〉

高校3年春、校内模試1位という結果に猫は驚いた。シャー猫の通う海猫高校は強豪がひしめいていた。中学猫以来、上位猫が載る掲示板には全く縁がなかった。虹猫さんのナンカイイカンジという曲が、シャー猫の脳内で繰り返し再生されていた。
シマダは眉ひとつ動かさなかった。シマダの妻は「あっそう」と興味なさそうに一言言った。猫海軍元中尉の祖父猫は喜んだ。海猫祭で祖母猫と掲示板を見に行き写真まで撮った。シャーは普通の親猫でないシマダたちにヴェールをかけていた。祖父猫の姿はかえってそのヴェールに穴を空けるものであった。
虹猫さんは一生懸命であった。この分野は草創期であり、声優もスタッフも手作りであった。カラオケで歌う虹猫さんは歌のヘタな普通の女の子が一生懸命歌っているような健気さが感じられた。海猫のオス猫たちは魅了され、一気に成績をあげて驚かれる猫が続出した。赤猫は布教に熱心であった。きらメモ5周年イベントに赤猫はシャー猫を連れ出した。陽射しは強く、引きこもりのシャー猫は舞い上がった。99%オス猫が並んでいた。きらメモ2の発表があり、5枚組という内容に衝撃が走った。シャー猫たちはハイになったままであった。

〈魔法解除〉

高3も秋になった。川猫に誘われ敵陣に乗り込む気分で吉祥寺猫女子高校の文化祭に踏み入れた。見渡す限り女子猫女子猫女子猫という光景である。香りも漂う。たちまちシャー猫はもう帰りたくなった。恐ろしくてたまらなかった。そして、猫卓上球部の出し物で、海猫のオスたちが女子猫と卓球台を囲んでしまった。
海猫はシャー猫と赤猫、国立文系コースなのに理転して医学部を目指す川猫の3匹であった。川猫は猫生物部長であり女子猫と交流があったが、朝比猫好きの2次猫でもあった。帰路、赤猫は女子猫ともっと交流したかったようだったであったが、その日はなんとなく良かったと思っていた。
しかし、重大な副作用が生じた。シャー猫にかかっていた2次元の魔法がとけた。シャー猫は必死でMDを回し、イヤホンをつけて何度も再生し、魔法を再びかけようとした。しかし、周囲の強豪猫たちも本気を出し始め、シャー猫の成績は停滞した。
授業のほか毎日8時間、シャー猫は自分をいじめた。数学の魔法にかかる時以外は、苦しい心地が続いた。虹猫さんの声は次第に聞こえなくなった。
シャー猫は勉強そのものに酔い始めてしまった。10時間以上勉強を続けることもあった。そのまま模試を受けて集中が途切れた。シャー猫はそのセンター試験模試の大惨敗に震撼した。普段の模試から100点以上低い点であった。疲労はシャー猫を蝕んだ。休むとシマダたちにかけているヴェールの穴に気づいてしまう。止まることはできなかった。
シャー猫は、友人の山猫とともに猫ゼミの模試を受けた。虹猫信者の山猫も魔法が解けてうんざりした顔をしていた。

〈厳しい判定〉

新学期が始まり、海猫高校で結果が返却された。シャー猫も山猫もE判定であった。山猫は第一志望を早々に諦めた。2匹を押し上げた虹猫さんの幻影はすでに遠くなっていた。それが逆に虹猫さんの力を感じさせた。シャー猫は、猫台と猫合の模試に挑んでからと言って、志望校の決定を先送りした。
シャー猫は新しい虹猫さんを日記に描くようになった。幻影を絵に落として魔法を必死を取り戻そうとした。それにセリフを入れた。「最後まで頑張るって約束したじゃない」、シャー猫は自分を追い込んだ。疲労感がシャー猫を襲っていた。ヴェールをかけているがゆえに、記号を使う数学は得意であったが、日本語、英語、特にリスニングは苦手であった。数学、日本史は良くても、語学が足を引っ張った。強豪猫は落ちてくることはなかった。
模試の結果が返却された。DとDであった。同時に先輩猫の実績が参考資料として配布された。DDで合格する確率は4%であった。担任の生物教師猫はブンイチでなくてもブンニでもブンサンでもいいじゃないかと言った。シャー猫は法律をやりたかった、シマダたちが社会のルールではどうなのか考えたかった。
前編 完

 

【小説】猫草 下

<悪夢>


シャーは夢を見た。幼猫時代、お気に入りのものが次々になくなった。祖父猫がくれた動く柴犬もいつの間にかなくなり、幼猫なりに必死に探した。
ブルートレインの曲が収録されてるカセットテープは分かりづらいところに隠されていた。それを見つけて喜んだのもつかの間、その後すぐになくなった。
シマダの妻は「シャーは物持ちがいい」などと言っていた。シャーは小学校に入った頃から大事なものは鍵をかけて保管するようになっていた。
シャーと白ちゃんの式に、シャーが改めて白ちゃんのために買った動く柴犬を持ち込んだ。シャーは、シマダの妻がぎょっとしているのを見逃さなかった。
見知らぬ家に閉じ込められる夢も見た。シマダの妻は「シャーは女の子に人気があるから、順番に行ってあげてほしい」などと幼猫シャーに話した。
連れて行かれた先には食べ物も水もなかった。冷たい隙間風が入る部屋に閉じ込められ、「ここはどこなの、帰りたいけどどこだかわからない」シャーは隅に丸くなって眠るしかなかった。シャーを好きなはずの女の子は素知らぬふりで一人で遊んでいた。
幼稚園の年中だった幼猫のシャーは紙芝居で聞かされたばかりの山椒大夫の安寿が助けに来てくれる夢をみた。優しい姉猫がいるはずだと思ってなんとか耐え抜いた。

シャーは今度は仕事の透明の水が出る会に出た。
透明な水を飲みすぎたシャーは帰りの汽車で何駅か乗り過ごし沼で引き返した。
幸い、上りの汽車はあった。

 

<ぴったりな場所>


「シャーちゃんにぴったりな場所があるよ」白ちゃんは言った。
動くかごにシャーは乗りたがっていた。幼猫の時はサイズ制限に引っかかり、
少年猫になってからは楽器の強制合宿、それを避けるための夏季講習で乗ることはなかった。
「白ちゃんが一緒に行ってくれるなら」
「猫の爪が巻き爪で動きづらいの」白ちゃんは言った。
シャー、シャー猫は癇癪を起こした。
「シャーちゃん、ここは星も見えるよ。銀河も見えるよ、双眼鏡も買ったらいいんじゃない」白ちゃんはシャーをなだめて話した。

シャーは翌日、白ちゃんが紹介してくれたところを予約した。
クローゼットを前足でいじっていると、探していた眼鏡も見つかった。
白ちゃんとラーメンを食べに行った。隣の座席の猫たちが何やらあやしげな会話をしていた。
「うちの理事長が死んだらどうなるんだ。交通事故にあうことだってあるその時どうするか」
隣の席の猫たちは、何やら可能性が高くない仮定を熱く語り合っていた。
白ちゃんとシャーはその場では黙っていたが、巣に戻って笑いあった。

シャーは双眼鏡を買いに行った。新しく猫ポイントカードも作った。店員は天竺方面出身の猫であったがたどたどしい言葉の中に情があった。
真新しいカードをみてシャー猫は喜んだ。天竺猫はこのカードで前のカードは失効になりますと言った。
巣に戻った後、白ちゃんは「前のカードを持っていたからそれもおいておいて」と話した。
シャーは癇癪をおこした。これはシャーの物だ絶対渡さない。白ちゃんは驚いた。
翌日、シャーは前日の癇癪が何だったのか自分でもよくわからなくなり、白ちゃんの美しい前足にカードを委ねた。

シャーは駅弁を買ってでかけた。湯につかり、黄色い水も飲んで大の字になって眠った。白ちゃんと光る板で話した。
翌日、水たまりを4往復すると、念願のカートに乗ってはしゃぎ、ラーメンを食べて、最後はそりにのって降りてきた。
おなかいっぱいになるまでご飯を食べた。双眼鏡で見る星空は信じられないぐらいの数の光が煌めいていた。

「反省したの」光る板から白ちゃんの美しい声が聞こえてきた。
「うん、楽しかった」シャーは一言言った。

 

<猫草餅>


帰りの車はシャー猫一匹を宿の猫が送ってくれた。「また、ぜひ遊びに来てください」車の猫はそう言ってくれた、情があった。
シャー猫はまた、少年猫の時を思い出した。
少年猫のとき、余っていた職業野原球遊びのチケットで友人の大きいサバトラ猫を誘ったことがあった
サバトラ猫の親猫はその返礼として雪山から板で滑る遊びに誘い出してくれた。
サバトラ猫とシャム猫のシャーは板でたくさん滑って遊んだ。サバトラ猫の親猫はおみやげに草餅を買って持たせてくれた。
シマダの家に戻ったとき、シャーは警戒を怠ってしまった。草餅をシマダの妻に渡し、
「とても楽しかった、また行きたい」と言った。
その刹那、シマダとシマダの妻の顔はすごい形相に変わった。「だったら、その家の子になれ」と二人揃って言い放った。シャーは驚愕し、同時に胸に冷たいものが流れた。もらった草餅を口にすることはなかった。

巣に帰ったシャーは少しびくびくしていた。
「どうだった」白ちゃんは改めて聞いた。
「カート、乗れたよ。白ちゃんの双眼鏡で星も見えたよ」シャーは言った。
「シャーちゃん、良かったね。お気に入りのスリッパ履いて、はしゃいでいるのわかるわよ」
白ちゃんは自分のことのように嬉しそうに話した。
「シャーちゃんも、猫草餅食べな」
白ちゃんは自分がもらった猫草餅を分けてくれた。

後編 完

【小説】猫草 中

<書留>


年が明け、春過ぎて、初夏、束の間の平穏をやぶるかのように書留が一通届いた。
その日、シャー猫の草野原球遊びチームが10-0から悪夢の逆転負けを喫した。
その二週間前、7連勝で通算100勝を達成したチームの祝勝会を境に不穏な空気が漂っていた。
白ちゃんが使う自転車がパンクした。大きなホチキスの針が不自然に刺さっていた。
書留の5日前、シャーは夕食後吐き気に襲われ、トイレに駆け込み、何度も戻した。
心当たりのない出来事にシャーは動揺した。

 

<ヴェール>


この冬から春にかけてシャーは過去と向き合わねばらなかった。
通知遮断の操作を行った時に、シャーは自らの心の底をはっきりと認識しとまどった。
シマダとその一派は連休や誕生日などに単発でメールを送ってきていた。
シャーは二つ折りの板だったときそれを任意の時に認識するよう設定することができた。
シャーは心身に余裕があるときにそれをまとめて斜め読みした。
その中身は、「人の道に反する」といった非難もあれば、「論文を読んだ、分かりづらい」と
シャー猫の業績を上から目線でけなすものもあった。シマダの現況を淡々と述べたものもあった。
シャーはもちろんこんなものを望んでいたわけではなかった、8年前の暴行や13年前の不義理に対する真摯な反省と謝罪、どこかでそれへの望みを捨てきれないでいたのである。
白ちゃんは「エスカレートするばかりよ」と言って、シャーも同意していたが、心の底にそれが残っていたのだ。
その心の底にあった蓋が消えうせた瞬間、シャーにヴェールがかかっていた過去が襲い掛かった。

 

<消された背番号>


書留は不在通知になっていた。受け取る手続をするか、受け取り拒否にするか、放置するかの3択であった。
シャーに記憶が蘇っていた。中学1年生の冬、体育の柔らかい球遊びの授業で活躍し、体育教師猫のスカウトを受け、シャー猫は野原の球遊び部に転部した。
教師猫は職業球遊びのドラフト候補になったとの噂がある名のある猫であった。
その夏の合宿でシャー猫はいきなり一発を放った。転部猫であったがその秋から背番号10をつけて、代打の切り札となった。
8打数7安打、シャー猫の活躍は驚異的であった。シャー猫はその活躍を知らせた。
シマダの妻は「球遊びのテレビ中継が始まるとテレビを消した」とだけ言った。
幼猫時代、少年猫球遊びチームに入りたいと切り出したシャー猫に「あなたには向いていない」と言い放ったことも思い出された。
シャー猫はレギュラー取りに向けて必死であった。7連敗を喫していた球遊び部は、シャー猫の適時打で同点に追いつき、その後勝ち越してついに連敗を止めた。
球遊び部の猫たちはスコアボードに集まって記念撮影をした。皆良い表情をしていた。
翌春、シャー猫たちは公式戦を迎えるはずであった。そこに幼猫時代から強制されていた楽器の発表会が重なった。
シャー猫は球遊びに行くと断言した。シマダの妻は楽器の教師猫と結託し、発表会の時間を遅らせる、発表順を最後にするなどと言わせた。
球遊び部は片付けもあれば反省会もある。その後に楽器演奏というのは体力的に厳しいものであった。ましてや、発表順の最後はもっとも上手な猫が出るものである。
全体の時間を遅らせるというのは関係者全員に迷惑のかかる話であった。シャー猫が球遊びにいけば、そういうことになる。外堀、内堀が埋まった。
シマダの妻は「一回ぐらい欠席しても大丈夫」などと甘い言葉を吐いた。追い詰められた未熟なシャー猫は抗えなかった。
次の日、球遊びの敗戦の報があった。親しい球遊びの猫に「あの場面で代打シャーがいれば」と悔しい思いを聞かされた。
他の球遊び猫は急によそよそしくなった。
次の活動の日、シャー猫の背番号はなくなっていた。その後、二度と打席に立つことはなかった。

 

<変調>


シャー猫は書留を放置することに決めた。
「受け取り拒否をしても、新しいのがくれば意味ないしね」シャーは白ちゃんに言った。白ちゃんも同意見であった。
つかの間の平穏が戻った。白ちゃんはシャーが応援している若元晴の缶コーヒーを買ってきた。
「普通の缶コーヒーのはずだけど、とてもおいしいね」シャーは言った。
シャーは、仕事でも妙なことが起こり始めた。「論点になっていないことまで質問がきています」仕事の眼鏡猫が言った。シャーは首をひねった。
翌日、シャー猫ののどがガラガラし始めた。体調不良を自覚しながら、シャーは海会という会合に出席した、シャー猫は何とかやり過ごした。

絶好調だった球遊びにも変調が現れた。球遊びの相手は決まったが、猫たちの集まりは良くなかった。助っ人猫の募集も苦戦した。
週明け、シャー猫は光る板の着信履歴に不在着信があることに気づいた。シャーは戦慄した。白ちゃんはいろいろな料理をシャーにふるまってはげました。「シャーちゃんのためにたくさん作ったよ。」ハンバーグ、芋の煮っころがし、ミートイカスパゲティ、どれも絶品だった。
球遊びの日の予報は雨に変わった。シャーは癇癪を起こした。白ちゃんはなだめた。
結局、上野の球遊びは雨で中止となった。
その日、普通郵便が来ていた。シマダからであった。シャーはだまってそれをファイルにいれた。前足がびりりとしびれたような感覚があった。同じ日、壁時計が2時を指したまま止まっていた。白ちゃんが買って神棚の近くに飾っていた桔梗様の絵が落下した。シャーの頭痛と鼻水は止まらず、その日は、寝続けた。シャーは風呂を身を清めた。
「こわい」シャーはひげをひくひくさせてこぼした。
「シャーちゃん、おちつきな」白ちゃんは言った。

<割れた皿>

次の日、「アイくんがくるみたいよ」白ちゃんは週末の球遊びに朗報をもたらした。
その週末、シャーは2安打2打点の活躍で、チームを勝利に導いた。
球遊び後、シャー猫はアイくんたちとはしゃいでいた。
「シャーちゃん、おめでとう。」白ちゃんは言った。

しかし、勝利の余韻は長く続かなかった。翌週、シャー猫の洗面所の蛍光灯が急につかなくなった。メガネが見たらないことに気づいた。気に入って使っていた皿が真っ二つに割れた。Wi-Fiが急に再起動した。シャーは謎の体調不良に襲われた。猫医者にかかったシャー猫は数値の悪化に驚いた。
翌週、マンションの前でシャー猫の顔を見るなり目をそむけ逃げるように立ち去る長身のオス猫に出くわした。風呂掃除用ブラシがぱっくり割れ、下痢が止まらくなった。
シャーは癇癪を起こした。
「シャーちゃん、やめな」白ちゃんはなだめた。

 

<学芸会>


シャー猫はそれでも予定をこなした。雨の中、一年前に発行された論文の内容を猫学会で発表した。
集まった猫たちの拍手は大きかった。大先輩茶トラ猫には「おつかれさま」と言われた。他方で、大先輩黒猫からは「踏み込み不足」と厳しくいわれ、シャーのひげは少ししぼんだ。
その日夕方に予定されていた中野での球遊びは、曇り予報だった午後も雨はやまずに中止となった。

猫たちの発表、シャーはまた幼猫時代を思い起こさないわけにはいかなかった。
シャーは猫帝国海軍技術研究所の元中尉だった祖父猫から小学校入学祝をもらった。
黒を基調に銀河の星々と土星が描かれたピカピカの自転車であった。
しかし、喜んだシャー猫に待っていたのは天国から地獄であった。
兄猫の学芸会の主題はわらしべ長者であった。何かが新品の自転車に取り換えられるという筋書の中で、シャー猫の自転車は徴収されることとなった。泣いて嫌だと言ったシャー猫はシマダの妻の決定の前に無力であった。
本番で一瞬だせばそれでいいはずであろうが、練習の名の下、兄猫の同級生たちが乱暴にそれを乗り回していた。シャーは体育館でそれを目撃し、その場で泣き叫ぶのを我慢して、体育館の裏で一人泣いた。
学芸会後、兄猫のクラスからお礼状が届いた、シャーは乱暴に扱われていたこと目撃していた。
形式的、儀礼的であることは幼猫の目にも明らかであった。幼猫は前足でその礼状を地面に叩きつけた。
シマダの妻は幼猫をひどく叱った。シャー猫はそれ以上何も言わなかった。後日、担任選考で兄猫がリレーの選手に選ばれたことを知った。当時のシャーは兄の慶事を喜んだ、この事実の因果関係については幼猫の理解を超えていた。

 

<駅弁>


満月が出ていた。シャーの体調不良は続いていた。左肩痛と左頭痛が一緒に来ていた。
白ちゃんは「綾瀬も上野も取ったのに、タマは傷ついたよ」と一言言った。タマは球遊びの野原を申し込む際のペンネームであった。
シャー猫は出張に出た。
「駅弁でも買って食べな」白ちゃんはシャーに紙をにぎらせた。
シャーは焼肉の駅弁を買って食べた。
幼猫時代、3匹で一つの弁当を分けて、弟猫フーに多くあげたことを思い出した。
「おなかいっぱいだ」シャー猫は強がった。
「貧乏だ」とシマダはよく言っていた。三桁万円もするフルートを兄猫に買っていたことを知っていた。
その矛盾から目をそらせるほど幼猫でもなかった。
その夜、津軽三味線あいや節とじょんから節を聞きながら、仕事猫たちと黄色い液体を飲んだ。当時の女工哀史のような解説を聴き、なんだか気が遠くなるような心地がした。

<救急猫>
その週末、球遊びは開催された。昼間しか来られないという、細君を得た若い猫のために白ちゃんは昼間の野原を確保した。
当日、外の野原の真ん中を予定していたキジトラ猫が急に来られなくなった。急遽そのポジションに入ったシャー猫はこの日打てなかった。
振り逃げで一塁、次の塁まで駆けた。炎天下とは言えないが、じめじめと不快な気温がシャーの水分を奪った。
巣に戻ったシャー猫の両後足が激しくつり、動けなくなった。白ちゃんは光る板を操作し救急猫を呼んだ。
翌日、シャーは癇癪を起こした。「将来は職業球遊び猫になりたかったんだ」シャーは叫んだ。「小学校の卒業文集に楽器の教師猫って書くしかなかったんだ。消しゴムで消したんだ」シャーは言った。
「よくそんな昔のことを覚えてるわね」白ちゃんはあきれて言った。
「仕方なかったんだ」シャーは叫んだ。自分の前足にかみついた。
白ちゃんはびっくりした。
「シャーちゃん、やめな、自傷行為はやめな」
シャー、シャー猫は前足で自分の顔をひっかいた。

 

<一般論>


七夕の日に、シャーは短冊を書いた。
「白ちゃんとずっと暮らせますように」
白ちゃんが珍しく光る壁の電源を入れた。ミッドナイトタクシーが流れ、親と子の話であった。シャーは癇癪をおこした。
「おちつきな。うちはなくならないよ、飢えないし、さむくないよ」白ちゃんは必死になだめた。

シャー猫は医者になった川猫と取材文筆業の赤猫という親友たちの久々の、黄色い液体会合があった。シャーはシマダのことを話した。
「意地を張りすぎじゃないの」
川猫はそういった。「生活を乱されてはたまらない。」シャーは言い返した。
川猫はそれ以上言わなかった。
その翌日、シャーは激しい右肩痛を起こした。動けなくなり、3日間じっとしていた。

白ちゃんは右前足をつかってシャーに指圧した。

翌週、シャーはやっと無くなった眼鏡を探す気になった。
光る板を使ってここ辺りがある水飲み場に問い合わせたが出てくることはなかった。
その週末、白ちゃんの自転車を修理に出した。自転車屋の猫は「自然に刺さることもありますよ」と話していたが、面倒事を避けたい猫の心理が透けて見えた。

中編 完

【小説】猫草 上

<シマダのメール>


ある夏の終わりの日である。
シャー猫の光る板に未読10通との通知があった。
送信元はシマダであった。シャーは戦慄した。
「とうとうきたわね」細君猫の白ちゃんは言った。
「シャー」
シャー猫は癇癪を起した。
「しゃーちゃんおちついて」白ちゃんはなだめた。
シャーは中身を見ずに既読にした。

 

<架空の蕎麦屋>


翌日、仕事を終えたシャーは光る板を見た。未読8通とあった。シマダであった。
シャーは幼猫時代シマダの家にいた。シマダはシャー猫に満足な食事を与えなかった。
シャーは常に飢えて、弟猫フーと架空の蕎麦屋の劇をやって凌いだ。
蕎麦屋のメニューは天ぷらそばのみであった。ドリンクメニューがありレモン炭酸水をイメージしたスケードリンクというドリンクがあった。シャーとフーは二匹で「うまい」「うまい」と言い合った。
ある時は、架空のピクニックにもいった。ティッシュで何かを作ってお菓子に見立てて少し移動し山の上に行ったことにして一緒に食べたことにした。空腹の中、想像の中で二匹はなんとかやりすごした。

シマダのメールは執拗であった。翌日はなかったものの、次の日に9通、また一日おいてから10通という調子であった。
シャーは白ちゃんに言った。
「こう毎日だとやりきれないね、どうしたらいいんだろう」
「一遍起きたことはまた起こるってことよ」
白ちゃんは冷静であった。それでもシャー猫はときどき「シャー」と癇癪を起した。
「シャーちゃん、落ち着いて」白ちゃんはそのたびになだめた。
「ツボを押してあげる」白ちゃんはシャー猫を落ち着かせようとその美しい白い前脚の爪でシャーの肩をさすこともあった。

 

<暴行、脅迫>


メールは続いた。シャーは、8年前、球遊び場に突然現れて、暴言とともにガードレール越しに暴行を働いたシマダの姿を思い出した。シマダの妻は冷酷で止めるでもなくそれを傍観していた。
シャーはそれでも警察に駆け込むことはなかった。この事件の後、家に帰ってから白ちゃんに言った。
「意外と平気だった。大丈夫。」
「そうだといいんだけど」白ちゃんは心配そうにこぼした。
細君猫の白ちゃんの懸念は現実になった。その2週間後、シャーは原因不明の高熱を出した。風邪症状はなく39度もあった。
医者猫は首をひねり「よくわからないが、感染症だろう」とつぶやいた。シャーは仕事を3日ほど休む羽目になった。

シャー、シャー、シャー猫は家で癇癪を起こした。白ちゃんはそれに対応せねばならなかった。
シャーは責任にある立場であった。自分で提案したプロジェクトを進めねばならなかった。
その深い疲労感の中でシャーは未読11通とある光る板を見つめた。

シマダとやりとりがまだあった時分もシャー猫は最前線で忙しく働いていた。
シマダはそんなことはお構いなしに、
「お前から連絡しろ、俺たちをケアしろ。賃貸の保証人をやめる」
などとメールを送ってきた。
シマダの冷酷な妻は、13年前、猫帝国海軍軍人だった祖父猫の葬儀が家族葬なのか、一般葬なのか、
話を二転三転させ、列席者を巡ってシャーを困らせたあげく、最後に「勝手に困れ」と言い放った。

祖父猫と祖母猫は隣に住んでいた。
祖母猫がこっそりくれる煎餅が飢えたシャーを生き永らえさせた。
シマダはシャーに関心がなかった。シャーは自分の虚栄心を満たす道具であった。
シマダは医者猫になれなかった心残りを3匹の子猫を使って実現しようとし、もっとも成績の良い
シャー猫に目をつけていた。シャーは動物が好きであった。シャーは生物の教員からモルモットを実験に使う実習の話を聞かされて耳を塞いだ。医者猫には不向きであった、
シャーが進路票を国立文系に差し替えたこと知ってから、シマダはシャーに無関心になった。

 

<生存戦略>


シマダの妻も似たようなものであった。
「本当は雌猫がほしかったのにね。3匹も見切れない。」
シャーにこう言い放ったことは一度や二度ではなかった。シマダの妻は兄猫のみを溺愛した。水泳、習字、フルート、体操教室、公文を同時に兄猫にやらせ同行した。弟猫2匹は邪魔であった。
シャーは本当の幼猫の時から兄猫が見ていたようであった。
兄猫が幼稚園にあがって急に不安になったシャーを見て、シマダの妻は冷酷に笑った。
「兄猫がいなくなっただけでさびしがって元気をなくしたのよ」

「2番目だと立っても歩いても感動なくてね」

後日、その発言を聞いたシャーは底知れぬ恐怖を覚えずにはいられなかった。

シマダの妻は自分の音楽趣味を3匹に押し付けることだけには熱心であった。
シャーにもある楽器が押し付けれた。幼稚園年長だったシャー猫は合唱団をやらされそうになったのを回避できたことにほっとした。幼猫といえるこの時期から、生存戦略を必死で考えなければならなかった。

 

<背中の傷>


光る板の未読通知をみて、シャー猫は嫌な記憶を思い起こさねばならなかった。
当面の措置として、中身を既読にする操作をし、ため息をつき、仕事をした。
AIが出力する画面にストーカー規制法が使えるなどと表示されていたが眉唾であった。
信頼できるページを調べ、条文を確認したシャー猫は、毒親による行為がそれに該当しようがないことを見い出した。
「法的にはどうしようもないらしいよ。」シャーは白ちゃんに行った。
「大丈夫なの。また、熱出したら大変よ」白ちゃんは優しかった。

シャー猫は幼猫の時にソファーから転落、背中からガラスに突っ込んだことがあった。
傷口は5センチ程度の長さで真っ直ぐ切れており、血が出ていた。シマダの妻は露骨に嫌な顔をした。
結局、傷口に謎の黄色い粉を塗られ、ガーゼをかぶせられた。
その傷は化膿し、熱をもった。シマダの妻は仕方なくシャーを医者猫に連れて行った。
「すぐ縫っていれば痕も残らなかったのに」医者猫は怒っていた。
シマダの妻はそれに対して冷笑していた。それをみたシャーは凍り付き「大丈夫」と一言言った。
傷痕はずっと残った。季節によって疼くこともあった。
白ちゃんはシマダのDDoS攻撃のようなメールが来る半年程度前、シャーの背中の傷を毎日さすった。
数週間後、不思議なことに、シャーの傷は疼かなくなっていた。

 

<一人カラオケ>


光る板に未読5通の通知が出た。シャーはほっとしている自分に苦笑せざるを得なかった。
同時に、前週末に野原の球遊びにきた派遣審判猫に挨拶したら不機嫌な顔をされたことを思い出した。
よく見ると、未読5通の中にその猫からの当日の最終確認なるメールが含まれていた。
シャーは派遣審判猫を頼む仕事は他の猫に頼むしかないことを悟った。背中の傷がまた少し疼いた。

シャー猫はプロジェクトの会議で他の猫の議論を聞いていた。前に進むにも課題があり、後ろに引くにも課題がある。
一筋縄ではいかなかった。
「負けてたまるか」シャーは独語した。

翌日光る板が熱くなっていた。未読9という数字が見えた。
あくる日も未読10、次の日はないと思ったが11通であった。
その週末、未読通知はいったん止まった。
「心のカギをこわされても、譲れないものがある」
シャーは一人カラオケで熱唱した、自然と涙があふれた。

 

<白ちゃんの助言>


マンションは大規模修繕工事が進んでいた。壁に穴が空けられ白い布が挟まって、
蛍光灯がチカチカとついたり消えたりしていた。
細君猫の白ちゃんは「こわい、おばけやしきみたい。」
シャーの癇癪と騒音に白ちゃんも限界であった。

翌週、かすかな期待を裏切るように未読12、未読13と事態はエスカレートしていた。
シャーは神頼みで塩をまいて風呂に入った。
「なんとかならないの」白ちゃんは言った。
シャーはメルアド変更や新たな光る板を契約することも考えた。
結局、シマダが新たなアドレスを知ってしまえば終わりであり、シマダのために毎月身銭を切ることに耐えられそうになかった。
「みないようにできないの」白ちゃんは続けた。シャーは閃いた。白ちゃんとは別の手段で連絡すればよい。通知を遮断すればよい。
翌日、シャーは通知遮断の操作を行った。
「これで片付いたわね」白ちゃんは漏らした。シャーは疲れ切った様子で言った。
「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。一遍起ったことは何時までも続くのさ。」

前編 完

【小説】大羽四郎

<序>


吾輩はオオハシである。名前はなかった。

夏の暑い日に、本屋に飾られていた吾輩を先生の細君が買ってきた。
本屋の店員は吾輩を置物と勘違いしていたのか、それとも店長が手放したくなかったのか、
いずれにせよ、吾輩を売ることを渋ったようであるが、吾輩のクチバシとカラフルな色合いを気に入った細君は値札がついていることを主張して買うことに成功したのである。

 

<先生の誕生日>


先生はいろいろ言うが、結局、誕生日には吾輩のようなものを望む。
昨年は、ゴリラシア・ブラウン男爵と名付けられたゴリラだったようだが、
今では、男爵はリビングのソファーでどっしりと鎮座し、コアラや犬たち、ハシビロコウのハシ君などに囲まれている。足元にはアジアゾウと赤い目をした白兎が戯れている。
そこに吾輩がやってきたのである。

先生はこの光景をみて、すぐに名前を考え始めたが、なかなか定まらぬ。吾輩思うに、安易にハシ君とハシビロコウ殿を名付けてしまったので、ハシという言葉は使えなくなって、思い悩んでいるのだろう。先生は細君が作ったサラダとお祝いのピザをついばみながら、吾輩の名前を考えてはくれているようだが、結局その日は決まらなかった。

 

<先生と俳句>


先生はそれに飽きて今度は俳句なるものを作り始めた。「秋風に 舞って集まる 落ち葉かな」。吾輩、南米の鳥であるので、日本の秋風というものがどういうものか分からぬが、なんとなく風流な感じもする。
南米の鳥として思いをはせると、どうも深淵な意図も含むようにも思える。連れてこられた先生の家には大きな紙が複数重なったものが置いてあり、先生は「内閣改造か」と一言つぶやいた。吾輩も鳥であるから、風が吹けばそれに乗ってとぶことができるはずで、風が吾輩の同輩を集めて、風がやめば散っていくこともある。この風流な感じの句には風で集まり、風で散る落ち葉の悲しさを表しているのではないかと考えた。地球の裏側まできて、こんな考えに至る吾輩は先生の影響を早くも受けだしたのかもしれない。明治の猫に三毛子くんがいたように、吾輩も素敵な同輩を見出したいところであるが、あの本屋でしか見たことがないと細君が語っていたので、なかなか期待できぬところである。

 

<先住者との対話>


そこでソファーにいた先住の一人に話しかけてみた。まずは、ハシくんである。
「はじめまして、オオハシです、名前はまだないです。どうしたらつけてもらえますか。」
「・・・」
ハシ君はさすがハシビロコウである、一歩も動かない、目線すら動かない。
仕方なく、同種はあきらめて話しかけやすそうな隣のゴールデンレトリバーのぽち氏に話しかけてみた。
「こんにちは、オオハシです」
「意地を通せば窮屈だ、とかくにこの世はすみにくい」
ぽち氏は難しい顔をしてそういった。そこへ、コアラが話しかけてきた。
「やあやあ、こんにちは。同じパペットでコアラのちいといいます。
 ハシくんはそういう鳥だし、ぽちくんは哲学専攻だからまあおいおい話したらよいよ」
ちいと名乗るコアラはノリノリで話しやすそうである。コアラといえばオーストラリア大陸出身と聞くが、南米から遠いのは変わらない。
「こんにちは、カラフルが自慢のオオハシです。マイブームは俳句です」
「オオハシくん、こんにちは。サイバーセキュリティに興味ない?ぼくはセキュリティの専門家なんだよね。」
どうも難しいことをいうコアラである。

 

<サイバーコアラ>


「ただのネットオタクでしょ、ミーハーなネットオタクだって知っているよ」
そこに口をはさんだのは白うさぎである。
「ぴょんちゃん、なにをいっているの、23番ポートテルネットががら空きだからしっかり調査して、対策の必要があるんだよ。マルウェアMiraiの亜種バッドラビットが出たときは、ぼくがバッドコアラという解毒プログラムを作成したんだよ」
「そんなこといって、ネット情報で適当なことを言っているのは知っているわよ」
コアラのちいと、白うさぎのぴょんちゃんは吾輩を脇に置いて盛り上がり始めた。
南米の鳥界の噂話で最近、人族が光る板をもってなにやらやっていてそれをインターネットと呼び、セキュリティなる言葉もあるという話を聞いたことがある。
吾輩が驚いたのは先生の家の動物たちがどうやらそれに関わっているらしいということだ。
その驚きとともに、吾輩としては、白うさぎ氏にもぴょんちゃんという名前があるらしいということは分かったので、やはりその動きの特徴を先生にアピールすることにより名前が授けられるのではないかという期待をクチバシをカタカタいわせながら思った。

 

<男爵と秘話>


そこへ昨年細君が先生のところに連れてきたゴリラシアブラウン男爵がやってきた。
「こんにちは。卿がオオハシ殿であるか。恐悦至極」
どうも古風な雰囲気である。めげずに話しかけてみる。
「どうもカラフルなオオハシです。クチバシが特徴です、以後お見知りおきを」
「オオハシ殿、痛み入る。」
「ところで、男爵はどのような経緯で名前がついたのでしょうか」
「おお、その話、聞いてくれるか。何を隠そう、最初は細君がゴリでいいと言っていたのだが、 先生の上司がズーラシアのチケットを配っていたことから着想したらしく、
ゴリラシアになり、細君がブラウン色ねと言っていて、ブラウン男爵になったというのが経緯だ。」
「それは良い話を聞いたのです。細君の言葉がカギになっているようですね。」
「慧眼である。先生方面は陽動、細君を突破してこそ名をあげることができる。」
話が銀河の神々の黄昏の方に向かいそうだったので吾輩は口をはさんだ。

「さらに詳しく聞きたいんですが」
「おお、そうだったな。実は、秘話があるんだ、聞いてくれるか。」
吾輩も興味をひかれて身を乗り出すと、男爵は続けた。
「昨年、本屋に飾られていた私を買う時に細君が店員にゴリラくださいと言ってしまったのだ」
「へえ、それでどうなったんですか」
「実は、その店員がなんとゴリラ似だったのだ。彼は困惑の表情を一瞬浮かべ、少し経ってようやく脚立を取り出してようやく私をレジまで持っていった。その間、細君は目をランランと輝かせて待っていた。そのゴリラ似の店員は最後まで挙動不審であった。」

 

<美しい細君とちい〉


その話を聞いて、細君が吾輩を抱いてレジに持っていった場面が思い起こされた。
長く美しい黒髪を上品に結び、涼し気なひらひらの服、人目をひく美しい顔、トコトコ動く細君、吾輩は鎮座していた場所からの移動もあったが、細君のあまりの美しさに胸が苦しくなったことを思い出し、クチバシをカタカタと鳴らしていた。
突然、先生が「恋は罪悪ですよ」と言った。
美しい細君の腕に抱かれた吾輩のクチバシが動くのは当然であり、吾輩には意味が分からなかったが、先生は手のひらに収まる紙の束をめくりながら吾輩をみつめていた。細君は吾輩のことを「かわいい」「かわいい」と盛んに言っていた。特に前足の青色が気に入ったらしい。さらに、「クチバシが割れてるって気づいたよ」とはしゃいでいた。

そうこうしていたら、また、ちいくんが出てきて、細君に話しかけていた。
「こんにちは、ちいです。」
「ちいが一番好きよ、最近出てこなかったんじゃない」
「いや、実は、先日山火事で親戚が焼け出されたらしく、オーストラリアに救援に向かっていたんです」
「ずっと、いたじゃない。」
「いやあ、幽体離脱して、オーストラリアに行っていたんです。」
「こないだ話したじゃない。」
「それはテレビ電話で、今はメタバースができるから。セキュリティもばっちりです」
「布なんでしょ」
「なっ何を言っているんですか、ぼくはコアラです。ユーカリをください。」
「この穴は何?手を入れるんでしょ?」
「肛門です、恥ずかしいからみないでほしいち」
細君とちいの掛け合いを見ていた吾輩は、少し羨ましく思ったが、その輪に加わることはできなかった。こうして吾輩の初日は幕を閉じた。その夜は白兎の隣で目を閉じた。

翌日、ぴょんちゃんと出くわしたが、彼女から
「あなたはよっぽど度胸の無い方ですね」
と一言いわれた。
吾輩は、あの掛け合いに入れなかったことを恥じねばならぬのか、隣で目を閉じたのが良くなかったのか、やむを得ないのか深く考え込まずにはいられなかった。そして、矛盾だとクチバシを鳴らした。

 

<命名 大羽四郎>


その日、先生はついに吾輩に名を与えた。その名も大羽四郎。吾輩はオオハシ、細君はサンシロウサンシロウとはしゃいでいる。先生の手には三四郎と書かれた紙の束があった。
南米コロンビア生まれの吾輩は、日本帰化鳥として生まれ変わったような心地がした。
そう決まっても、細君はまだいろんな名で吾輩を呼んでいたが、「尻尾があるって知っているよ」と言って、キャッキャッキャとはしゃいでいた。
黙ってどぎまぎしていると、「ストレイシープ」と口の内でいって、吾輩を抱きしめた。吾輩は細君の腕の中に落ちる。その呼吸を感じることができた。
翌日、先生は、昨年のゴリラシアの横にいた白い羊が本屋から消えたことに気づいた。細君のゴリラください発言以降、店員の行方は誰も知らない。

完