眠い。起きたのは10時過ぎ。それでも眠い。元気は全然ない。またもや、妙な夢にうなされていた。覚えていないが、いやな夢だったことは間違いない。それが、草野球の練習に行く午後2時ごろまで続いた。眠いながら、エヴァの限界心理分析とかいう昔の本を読んでいた。エヴァはともかく心理学の勉強にはなる。大学2年ぐらいの時にだいぶ関心があって、結局ユングに行き着いたのだが、自分なりの解釈では人間の広い意味の人格は、「無意識の自己」と「意識的な自我」、さらに「客観的社会的自我」という三種類があると思われる。「無意識な自己」は潜在的な欲望や無意識の行動形式などであり、「意識的な自我」とは自分がこうありたいないしこうであると思っている理想的な自己認識、さらに「客観的社会的自我」とは地位や立場によって社会一般人が認識するであろう自我である。
要するにエヴァ的に言えば、「他人の中の私」というのが3番目に該当する。「自分の中の私」イメージが2番目、さらに「無意識のディラックの海の中にある生の私」が1番目。
わざと逆にしてみたが、分かり易いのが「他人の中の私」でこれが案外完結した自我となってたりするので、これに人は依存したりこれが悪いために人は苦しんだりする。シンジ君が怖がってたのはこれで、人が人格形成する際に一番最初にふれるものである。それはそれとして、「自分の中の私」をイメージできるようになると自我が完成するが、結局これは無意識の自己と社会的な他人の中の私にいつまでも振り回されるなんだかか弱い存在である。だが、結局この「自分の中の私」は生の自分と社会的な視線を調整するものであるから、最も自分の人生における選択に影響力を及ぼしたりする。
人格障害はおそらくこの「自分の中の私」が安定しないからこそできると考えられる。ま、これは前述したように付き合う人間や環境さらに無意識下にある自分の欲求・衝動に影響され易いから、環境の激変や思春期や初めて異性と付き合った時などに変動をもたらし、不安定化する要因となる。普通の人は適応するところを人格障害はそのキャパシティーを超えてしまうということなのだろう。
正直、私的なことを言えば、海外に行かないのは自分の中の私が不安定化するのが恐いからである。今は、ある程度自信があるから大丈夫だと思うが、小さい頃行くというのは結構微妙なのかもと思う。