〔雑談〕最近のアニメ等はなぜ総じて詰まらないのか。

 最近、話題となっている議論を書く。
 出発点は、オタクコンテンツと呼ばれた「アニメ(大人向け)」「漫画」「ノベルゲーム(ギャルゲー、エロゲー)」の市場が飽和して、ほとんどの作品が焼き直しにすぎなくなっているのではないかという慨嘆である。私自身、エヴァときメモが出てきた90年代後半にこの世界に入った人間だが、その頃と比べて「これはすごいぞ」と人に薦められる作品は減っているように思える。
 では、エヴァときメモはどこが凄かったのだろうか。それには当時のコンテンツの状況を知る必要がある。当時、アニメや漫画は、社会的には子供の読むものとして低く評価されており、作品自体もそれ相応だった。ただ、大人が鑑賞するコンテンツは、映像の凄さであっても、恋愛の描き方という観点でも、映画であり小説だった。一方で、映画や小説は飽和状態となり、一定のパターンとタブーが存在するのも事実だった。
 その中で、エヴァときメモは新規性があったのだと思う。エヴァはその設定とストーリー、映像表現、ときメモは擬似恋愛への感情移入装置という点でだ。私はそういう新規性に魅力を感じずにはいられなかった。
 結局、10年の月日が、その市場と手法の成熟をもたらしたのだろう。エヴァときメモ以来、アニメや漫画、インタラクティブノベルゲームは、全般としてこの業界は映画や小説でできないようないろいろな実験を試み、一過性に終わるものがある一方、その後も引き継がれる優れた手法も多く見出してきたように思う。しかし、需要と社会的認知(アキバ系という言葉がそれを物語っている)の安定とともに、この業界も一定の需要を見込める安定産業となってしまったのだろう。
 良い面を捉えれば、一定の安定感を持っていると認知されたがゆえに、最近ではアニメ、漫画原作の小説化・実写ドラマ化が進んでいる。漫画→ドラマ→アニメとなった「のだめ」をはじめ、漫画→ドラマの「花より男子」等である。その一歩手前の段階と思われるが、ノベルゲーム→アニメは「KANON」以来、「ダカーポ」「はにはに」「はぴねす!」「おとボク」と枚挙の暇がない。近い将来、エロゲー発、ドラマもありうると私は考えている。面白い世の中だ。