ギアスのリーダーの正統性

 真面目に考えてみる。まあ、乱世なんでしかたないんだろうが、シュナイゼルルルーシュが現代政治の正統性担保の二大論拠である民主主義と人権尊重主義(自由主義ともいう)からかなり離れている。一応、超合衆国の方は民主主義を基盤に置くわけだが、ブリタニア世襲制+弱肉強食原理を採用しているわけで、現代の価値観からはかなり遠い。それが強かったという前提なのだから、良識派の学者なんかは眉をひそめる話である。
 それで、この両者に共通してあるものは、人権の軽視である。シュナイゼルに「世界の平和に比べれば、一人の命など・・・」なんていうマキャベリズムの言葉を平然と吐かせているが、これは人権の否定である。一方で、冷徹な真実の一面を表す現実の一言でもあるのだが。 
 対するルルーシュだが、彼も基本的にマキャベリストであり、民主主義や正義(≒人権尊重)などを利用しこそするが、基本的に目的のためには手段を選ばずである。ユフィにシャーリー等数々の死者を出しているところからしても人権からは遠く見える。
 ただ、今回のルルーシュの「明日を望む」という言葉には何かないだろうか。これは、人権の中でも最も重要な自由権の本質なのではないか。言いたいことを言う、考える、財産を使用し、取得し、売買する、移動し、集会を行う、これらは人間の欲望であり、ともすれば人を傷つけたり秩序を乱すものだが、そうであっても、「明日」を望み、明日は今日よりもきっとよくなると信じるのは人間の本質であり、現在主流哲学となっている自由主義が最も重視する価値である。これは現代世界を生きている我々に無意識的な自己正当化カタルシスを感じさせたる狙いだったのではないか。もしそうだとすると、このアニメクリエーターは結構凄いかもしれない。