読書

  1. 青木裕司著「知識ゼロからの日本・中国・朝鮮近代史」平成15年11月幻冬舎発行を3時間で読破した。

なかなか面白かったが、前半と後半に不満が残った。端的に言うと、彼は日本が過剰に嫌いである。特に前半と後半においては、歴史的事実を類推して、資料のないことまで殊更日本が悪いことをしたと言いたいのが目に見えた。南京事件慰安婦の問題も殊更日本の行為の不法性を強調し、バランスを欠いているような気がした。さらに、彼の歴史観で最も問題があるのは、「相手の立場で常に歴史はみなければならない」という記述である。これは明らかにおかしい。歴史的事実は一つしかないが、その当時のおかれた立場によって種々の見解があるというのが私の考えである。たとえば、ワシントンはアメリカでは独立戦争の英雄であるが、イギリスでは大英帝国の反逆者であってある意味罪人扱いである。それは、それぞれのおかれた立場が異なるからである。

で、同じ歴史的事実を前にして、日本の立場を十分に考慮した歴史観を提示できるのは他でもない日本だけである。もし日本がそれをしなければ、言論の自由競争の中で、日本に不利な歴史的事実のみが強調され、過去の歴史と直接関係の無い現在の日本人が賠償等の不当な不利益を受けることになるのだ。

この点を、彼は考えていないのだろうか?彼はどうやら歴史観は一つだという観念があるらしい。歴史家の役割はとにかく事実を検証することであると思う。その事実をどう解釈するかはそれぞれの立場で異なっていいのだと思うし、教科書において何を取り上げるかも種々様々な立場があっていいはずである。

さて、この本であるが、中盤の記述は的を得たかなり客観的な記述になっている。日本の行動も当時の世界の帝国主義という世界情勢の文脈で読めるようになっており、歴史理解に役立つと思われる。それを考えると、後半筆者がなぜまるで裁判官のように殊更正義概念を持ち出して日本を非難するという姿勢になっていることに違和感を感じた。

この書を読んで、歴史の勉強にはなったが、同時に歴史教育の難しさを感じた。歴史は所詮伝聞となってしまい、結局ある一定の方向性を持った物語にするしかなくなるのか。歴史を勉強する目的が過去の教訓を生かすという一点のみであるとすれば、確かに失敗ばかり記述するのもいいのかもしれない。だが、歴史の勉強は教訓を学ぶということのみではなくて、自分達の先祖がどんなことをやってきたかというアイデンティティーを作る基盤となるものでもある。だから、日本の成功体験は成功として大いに賞賛し、かつ失敗は失敗として真摯に受け止める姿勢が大切であると思う。

  1. 斉藤孝著「理想の国語教科書」

夏目漱石夢十夜の部分だけ読んだ。正直、なんだか読みにくかった。夢ってこんなものだよなとは思うが、女性と花、なんだか神秘的なお話。よく分からないけど、結構覚えているから名作なんだろうと思う。