その時歴史が動いた

前日放送分をビデオにとっておいたので見た。結論を言えば、結構面白かった。主に鳥羽伏見の戦いに至るまでの旧幕府側と薩長側の駆け引きが説明されるのであるが、政局に正道でもって対処しようとする松平春嶽と多少汚い手を使ってでも近代化という目的を達成しようとするマキャベリスト大久保利通を対照的に描き、緊張感とスリルを味わえた。鳥羽伏見の戦いに勝利した薩長が錦の御旗を得て旧幕府側が敗れる。公家が最初から薩長についていたわけではなく、勝った方についたという事実は興味深かった。「勝てば官軍」という言葉の意味はこうした事実をしって始めて本当の意味が分かるなと思った。
最後の佐々木克京都大学名誉教授)の解説で、多少の手続きを無視しても目的のために柔軟に対処するということが今の世の中に求められていると学者が言っているのを聞いて、学者でもこういうことを言うのだな〜となんとも違和感を感じた。普段、法学部学生としてゼミ教官等からデュープロセスをひたすら強調されている身にとっては、マキャベリズムを積極肯定する意見は新鮮であった。
最終的な目的がしっかりしているのであれば、個々の手段は柔軟に対処しても良いのかもしれない。特に革命的なことをする時は説得力のある決断が重要だというのはそうだ。しかし、結局現代の変革は、どういう世の中にするのだという強い目的を示すのではなく、冷戦構造が崩壊し右肩上がりの経済成長が止まったといった事実に対処法的に対処しているにすぎないような気がしてならない。変革者は常に夢のある強い目的を示す必要があるはずだ。もしそれがあるのであれば、手続きを飛ばしてでも行うというのは一つの政治手法なのだろう。
それにしても、松平春嶽の「憤懣に耐え難く候」という言葉は実感がこもっていて、印象に残った。