もののけ姫

う〜ん、この作品人気だったけれども、正直終わった後疲れがドーっと出た感じだった。自分としては猫の恩返し耳をすませばのように単純なストーリーの方がエンターテイメントとしては好きかもしれない。だけれども、もののけ姫は見た翌日の今でも結構心に残っているから、実は深い作品なのだろう。何が深いのだろうか。
ストーリーはたたり神になったイノシシを射た少年アシタカがそのたたりを右腕に受け、それを消すために旅立つところから始まる。たたら製鉄を行っている村に行き着き、その過程で山犬とともにあるもののけ姫と出会う。武士権力者から自立し生きるために山を切り開く村と自らの住処を奪われていく山の動物達という大まかに見て二極構造、鉄資源を狙う武士を入れれば三極構造である。そしてそのどこにも属さないアシタカと山犬の娘とされながら当然山犬にはなりきれぬ人間のサンがいる。人間対山の動物の戦いが起こった時、彼らは戦いをやめ共存の道はないのかと必死に動き回る。
しかし、結局は山の神の首がとられ、さらに山の神は村も武士の陣も全て緑で覆いつくすことで終わる。痛み分けである。
しかし、「この世に存在するあらゆるものを全て欲するのが人間の業である」という言葉と「アシタカは好きだ、だが人間を許すことはできない」と発言するサンに象徴されるように、人と自然の対立・矛盾はなくなったわけではない。常に存在しているのだという意識を視聴者に投げかける。
西欧的な自然対人工という視点で日本人も戦後発展してきた。しかし、自然との共生を考え自然を利用し、かつ自然の神秘・力に神性を与えてきた東洋思想。アシタカは後者の考え方を色濃く持つ村出身者である。しかし、人間の業を実現させてきたのは前者の考え方である。
経済至上主義から環境問題が重要視される現代において、問題は未だ結論の出ないテーマであり、問題設定として常に意識していなければならないものなのである。人間の業か自然との共生なのか。極めて厳しい選択であるが、現代を生きて来たものとして人間の業をとってしまうのが今の我々である。付随的に自然との共生を謳うにすぎない。
新潟中越地震を見ても、近代生活を支えるインフラは大自然の災害の前ではか弱い。しかし、やはりひとたび歩き始めた以上、立ち止まることはできない。行き着くところまで行くしかないのが今の日本であり、世界なのだ。
そして、行き着く先はおそらくもののけ姫のラストにあるようなあるがままの人間とそして美しい自然の姿なのだろう。そこから、また人間は歩き始める。