マリア様が見てる

志摩子乃梨子の関係を描く二話を見た。相当面白かった。マリア祭の宗教裁判というのは正直あれはどうかなと思ったが、誰にも迷惑をかけたくないといいながら相当個性のあるロサギガンティアと非クリスチャンの乃梨子。何が合うのかはよく分からないが、心理描写が絶妙で自然に感じた。言ってみれば、非クリスチャンの乃梨子志摩子にとって全ての人間と付き合っていけるということの象徴なのかもしれない。ロサフェティダたる江利子は単に奇なるものへの関心の強い、器用に個性を出し、あまり他人を恐れない存在だったのに対し、ロサギガンティアは個性が強いのにも関わらず内に秘めつつ他人と付き合おうとするタイプ。
ロサキネンシスとあわせて、個性の強い人間性の現れ方典型例?をうまく示せているような気がした。自分は男なので、重ね合わせるのは片腹痛いが、近いのはベースがロサギガンティアにロサキネンシスの要素をあわせてというのがそうだと思う。世の中に疑問を持ちながら世の中の正しいことはしっかり正当化論理を作って割り切りつつ、内に秘めるものを作ることで常に新しい可能性を考えている。
ってなことを考えていた。いずれにしても、マリ見て侮るなかれである。