〔政見〕

朝日ニュースターにムネオが出ていた。
辻元にシンパシーを覚えるという。

これは面白い。やはり、前々から私が考えていたように、
二大政党の軸となるのはやはり社会的・経済的格差への態度なのではないか。

情と理の対立ではないかと最近考えていたが、自民党が小泉によって理の政党に変化してしまったことで、この対立軸はボツとなった。

むしろ、社会的経済的格差をどの程度許容するのかという点にやはり軸があるべきではないかと考えはじめた。

これを完全になくすという思想は共産主義社会主義であるが、もう少し穏健な社民主義という考え方が欧米にはある。しかし、これが日本に根付かないことは明白で、この理念を提唱したところで、過半数議席を目指すことはできない。

では、同じ格差を少なく調整する思想で、かつ日本人が受け入れ可能な思想は何かという点である。これはやはり、今までの自民党がそうであったように、日本を天皇を中心とする家族共同体と見なし、だからこそ弱者に対しても手を差し伸べるのだという家族相互扶助精神を前面に出すのはどうだろうか。新自由主義に対する家族共同主義とでも名づけようか。

私が政策的に今は新自由主義を取るべきであったと判断しているのにも関わらず、国民新党亀井静香綿貫民輔の人情の訴えかけに、シンパシーを感じてしまったのは、この安全・安心を与えてくれる温かみのある家族共同主義を感じていたからなのかもしれない。ただ、この概念を旗印にするとしても、格差是正の手段はあくまで公正で合理的な範囲に収まるものでなければならない。政治を私物化する利益誘導政治家をとは一線をかくした、知的で情に厚い家族共同主義の理念をしっかり提示できた時に二大政党の本当の軸になるのかもしれないのである。