岡崎久彦*1

靖国神社に関してなのですが、簡潔にまとめると

  1. 戦没者慰霊は当然である。
  2. 吉田〜田中首相の時代は例大祭に毎年参拝していた。
  3. 三木首相の時に私的参拝といいだし、さらに8月15日参拝を行った。それから、公私の別が問われ始め、天皇が参拝できなくなった。
  4. 福田首相の時にA級戦犯が合祀されたが、中国は何も言わなかった。
  5. 中曽根首相が戦後総決算ということで公式参拝して始めて、中国が文句をつけてきた。
  6. 日本の世論の6割が首相参拝を支持している理由は、「日本の戦後の平和努力と過剰なまでの自己批判・自己反省を中国が全く考慮せず軍国主義復活等と言う的外れな批判をしてくることへの反発」と「死者への追悼という純粋な行為に口出しすることへの反発」という二つの点からの中国への反発が主なものであるということ。

この計6点が指摘されていたが、いくつか疑問もある。

  • まず、三木首相時に急に公私が問われ始めた原因がよく分からないことである。この点に関して、岡崎氏は三木首相がパシフィストであるからという一刀両断ぶりであったが、正直よく分からない。三木内閣の実績が75年7月の政治資金規正法改正と76年7月のロッキード事件による田中前首相の逮捕であるが、この点を指して言うのだろうか。確かに、最近三木首相の奥さんは、自衛権を否定する憲法9条の固守という知識人にあるまじき非合理な姿勢を取って、大衆を扇動しており、この点から察すると三木首相への岡崎氏の感情的批判はなんとなく納得できる気がする。しかし、このような情緒的な解釈は誤りの源泉であるから、三木総理に関してはもう少し調べてみる必要があるだろう。
  • 次に、中国が靖国に突然反発し始めた理由であるが、中国国内の事情を見ると、1965〜77年の文化大革命が終了後、訒小平によるいわゆる改革開放政策が展開され、社会主義的近代化と対外開放政策*1が打たれたことが関係しているように思われる。問題となっている中曽根内閣が83年に成立していることも勘案すると、ちょうど中国が改革開放政策により共産主義との矛盾が噴出したであろう時期と合致(改革開放政策導入から5年後)していることから、政権の正統性を強調するために抗日戦争に関連する歴史を持ち出したという分析が正しいと思われる。

「歴史問題は歴史に名を借りた現在の問題である」
という文は非常に示唆的である。中国の歴史問題への反発はその当時の日本への反発や国内事情から発するものであるということである。このことは、現在にも通じており、日本企業が中国特需と言われるように中国市場でかなりの利益をあげて、日本人ビジネスマンが羽振りの良いのを傍目で見ている、元国営企業の職員や経済発展に取り残された人々のやり場のない怒りが中国政府によって日本という外国に向けられていると見るべきであろう。

  • 何より、日本は戦後の主要な教科書に見られるように、主な学者は過剰なまでの自己否定、反省、自虐的な歴史観を持ち、村山内閣の時には先の大戦を包括的に侵略とした声明*2を出したほどである。さらに、ODA、円借款によって戦争被害に対する実質的な補償は終了していると言える。この2点から実際問題としての歴史問題は日中間には存在せず、日本は引け目を感じる必要は全くないのである。
  • それにもかかわらず、中国が歴史を持ち出すのは現在の日中のおかれた現状に中国が不満を有しているからである。すなわち、アジアの実質的な指導国が日本であり、経済的*3にも政治的*4にも国内の人道問題にしても全て日本が中国に上回っている現状である。中国は日本に先の大戦で勝利したなどと宣伝しているが、実際には首都南京を陥落させられ、重慶にこもって援蒋ルートによってかろうじて命脈を保っているうちに、日本が米国に物量戦で敗れて勝ち馬に乗ったに過ぎないのである。この点を謙虚に中国は受け止める必要があるだろう。日本は近代国家成立以来、常にアジアの指導国であり、これからもあり続けるのである。

*1:外資導入

*2:私見では、中国における戦争は過剰自衛行動=侵略であったと解釈すべきであるが、東南アジアにおける戦争は主に植民地支配をしていた英米仏蘭の4カ国と戦い、追い出した戦争であって解放戦争の面が強いと考えられる

*3:GDP世界2位

*4:民主的