猪瀬直樹「禁欲の富国論」文藝春秋2005年1月号

現在の少子化、低成長時代における日本への処方箋として江戸期の二宮尊徳を紹介しつつ、論を展開していた。総じて、何かを主張するというより、実証的な研究結果の紹介のような細かさもあり、少々読んでいて瑣末感と論旨がずれがちであるなと思った。例えば、儒教仁義礼智信四書五経に細かい解説があったりして、なんだか全体の論旨が良く分からなかった。というわけで、文内部の示唆的な内容のみを紹介する。

  1. 二宮尊徳は親孝行、勤勉、学問という点が道徳教育の必要上強調されているが、彼の本質は貨幣経済の浸透という当時の社会情勢の下でいかに合理的に効率的に行動したかということにある。→積小致大」
  2. 「江戸時代はマルクス史観*1明治維新政府が自己を正当化するためにかなり曲がって解釈されている傾向がある」
  3. 「人心の腐敗とは、人々が小利を争い、私利私欲にまみれ他人の不幸を喜ぶような人間が多数の状態を言う」
  4. 「右が重ければ右に傾き、左が重ければ左に傾くから、全体の傾向として少なくとも過半数の人間が小利を争わず、公共心から他人の幸福を願って行動するようになれば、自然に社会全体が良くなるものである。*2

以上であるが、いずれも現在を生きる上でかつ教養として示唆的な内容であると感じる。自ら野球チームを経営するものとして、最近感じるのが最後の二つである。これと関連して、「人間は常に知識、処理能力、精神力の3点の限界を有している」という最近私が感じる哲学を思い出す。エリート支配は前2点の限界が少ないが、3点目の精神的限界は人間としてなかなか打破できない限界であると思う。

*1:農民・労働者階級が虐げられた

*2:二宮尊徳の言葉引用