〔雑談〕哲学とか信念とか・・・

私の基本的哲学を今思いつくままに書くと、

  1. 「人間を人間として尊重しよう」
  2. 「人間の所属背景よりも、その人間が何をしたのか、何をしようとしているのかという実質を重視しよう」
  3. 「常識を疑い、筋を通して考えられる人間に価値をおこう」

の3点ですね。
その思うところを述べれば、
1に関しては、人は勉強の試験成績や野球の能力や仕事の業績といった様々な尺度で常に測られ差別化が図られているが、人間という尺度を用いれば人は全て平等であるということです。人間という尺度とは、例えば衣食住という言葉がありますが、人は皆着物を着て、食べるものや眠るための住居が必要であるという点が同じであり、自分の財産が奪われたり人格攻撃をされたら嫌であるというような「人間が動物であるが故にもっている共通基盤のこと」と解釈しています。これが個々の人間を人間として尊重することにつながるわけです。例えば、野球で失敗してそれを批判する時もあくまで野球のプレーに関して批判して、そのことと離れてその人の人間性を攻撃するようなことは絶対してはならないという哲学です。具体的には、「あそこでどうして飛び出したんだ。相手投手は牽制がうまいのだから気をつけろよ」というのは良いのですが、「あそこでどうして飛び出したんだ、バカ野郎!氏ね!」とか言うのは哲学に反するということです。
2に関しては、1とも関係があり、所属背景というのはその人の人格と密接に関連していて、しかも容易に変えられない。こればかり語るのはその人の可能性を固定化することにつながり、社会的にも活力を阻むし面白くないと思うわけです。確かに、所属背景というのはその人間を判断する上で重要な要素であり、かなりその人間の可能性を推測できる要素であると思いますが、それでもなお固定観念を超えてその人間が飛躍する可能性を閉ざすのは正しい道とは思えないわけです。「志と思いがあれば、必ず何か事をなせる」いくら優秀な背景や所属を持つ(能力のある)人間でも、原動力となる事をなしたいという「思い」を持っていなければ何もなせないわけです。私は、多少能力が劣っても「思い」を持った人間の方を評価したいと常日頃思っています。
3に関してですが、これは常識をしっかり把握している人間にだけ向く哲学かもしれません。ただ、常識が本当の正しいのか、理に適っているのかを考えられる人間だけが社会を良い方向に変えられると考えており、そこに最も魅力を感じるということを示したものです。